輪廻転生

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岡田茂吉師御論文です)



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『明日の医術 第三編』昭和18(1943)年10月23日発行

 前項に述べたごとく、人間は生き更(かわ)り死に代り何回でも生

れ替ってくるのである。しからば一体、人間死後誰しも往かなければ

ならない霊界とはいかなるところであるか、私の研究によって知り得

た事を書いてみよう。

 まず、霊界とはいかなるところか、それは眼にも見えず手にも触る

る能わざる非物質即ち虚無であるから、唯物思想になれた一般人には

理解され難いのである。彼(か)の釈尊が説いた地獄極楽説やダンテ

神曲における地獄、煉獄及び天国篇にある表徴は、霊界の一部を示

したものであって、決して荒唐無稽な仮説ではないのである。何とな

れば、病気や災厄・不幸等のあった場合、その原因が霊界と余りにも

関係が多い事であって、いかに唯物的科学によって解釈しようとして

も、事実を歪曲せざる限り、合理的説明は不可能である。故に霊的事

象に対し、科学的批判をする事――その事がすでに非科学的である。

しかるに、霊的解釈を下す時、それは事実と何らの矛盾も来さないの

であるから、これが真の科学でなくて何であろうと思うのである。


 そうしてまず、霊界とはいかなるものかという事であるが、これを

一言にしていえば、意志想念の世界であるといえよう。故に、肉体な

る物的障碍がないから、現世よりもある点は素晴しい自由がある。そ

れはたとえていえば、その霊の意志によっていかなる所へも短時間で

行けるのである。彼の神道において鎮霊の際「天翔(あまかけ)り国

翔り坐(ま)して、之の宮居に鎮まり座(ま)しませ」という事によ

っても明かなるごとく、千里といえども、数分間にして到達されるの

である。そうしてこの霊の行動の遅速は、霊の階級によって非常に差

異があるものである。高級霊即ち神格を得た霊程速かであって、最高

級の神霊は一秒の何十分の一よりも速かで、一瞬にして、いかなる遠

距離へも達し給うのである。故に、低級な霊程遅く、最低級の霊に到

っては、千里を走るのに数十分を要するのである。それは低級霊ほど

汚濁がはなはだしいから重いという訳である。

 次に、霊は想念によって伸縮自在である。故に、一尺位の幅の仏壇

の中に数十人否数百人の祖霊が居並ぶ事も出来得るのである。その場

合、順序、段階、服装等は頗る厳格であって、ことごとく相応の秩序

が保たれているのである。勿論、仏教にては戒名、神道にては御鏡又

は神籬(ひもろぎ)に憑依するのである。


 又よく幽霊の有無をいうが、これは勿論実在のものであって、死後
短時日の間ほど死霊の霊細胞が濃度であるから、たまたま人間の眼に

映ずる事がある。彼の基督(キリスト)が復活して昇天した姿が眼に

映じたものが相当あったという事は別段不思議ではなく、あり得べき

事なのである。そうして年月を経るに従い浄化され、稀薄になるの

で、容易に見え難くなるものである。又幽霊は、針のような穴からで

も出入が出来得るのである。それは肉体なる邪魔物がないからであ

る。

 右のような点だけで解釈する時、自由主義者などは理想的世界と想

うであろうが、そうはゆかないのである。それはどういう訳かという

と、厳然たる法則があって、その法則によって自由が制限されるから

である。

 私は、今も生きている宗教界のある有名な人の著書の中にこういう

事が書いてあった。それは「人間は死後、霊が滅消してしまうので霊

の存続や霊界などはあるものではない。なぜなれば、もしそうである

とすれば、昔から死んだ人は何億あるか分らないから、死後、霊魂が

存続するとしたら、霊界は満員にならなければならない」――という

のである。この人などは偉い人ではあるが、霊魂の伸縮自在という事

を知らないのである。
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