無肥料栽培

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『地上天国』1号、昭和23(1948)年12月1日発行
『無肥料栽培法』にも収録

 私は今無肥料栽培につき解説するに当ってまず根本理論から説いて

みるが、そもそも土とは何ぞやと言う事である。言うまでもなく人間

生命を保持すべき最重要なる五穀野菜を生育すべく、造物主が造られ

たものに違いない、従って土そのものの本質は神秘幽玄なるものであ

って、現在までの唯物科学によるも到底窺知(きち)し得ない事は論

をまたないところである。しかるに今日までの農業はしらずしらず邪

道に堕ちいりたる結果土の力を蔑視し、一切の作物をより良く生育す

るには糞尿または化学肥料等の人為的肥料に依らねばならぬと思い、

今日に到ったのである。

 しかるに以上のごとき結果は、土壌の本質は漸次退化変質し、土壌

本来の生育力は衰耗するに拘わらず、それに気が付かないため、農作

不良の原因は肥料不足に因ると錯覚し益々肥料を施すから土壌の力は

いよいよ鈍化しそれを補わんとして肥料をより施す結果、今日のごと

く日本の国土は痩地化し、農耕者の口を揃えて嘆ずるところである。

私は人為的肥料がいかに恐るべきかを列記してみよう。


一、現在最も悩んでいる事は害虫の発生であろう。しかるに害虫発生

の原因を究めずして、害虫駆除のみに専念している、とはいうものの

原因を発見し得ないがため、やむを得ず次善の方法としてそうするの

であろうが、実は害虫なるものは肥料から発生するのであって、近来

害虫の種類が殖えつつあるのは肥料の種類が殖えたからである。また

殺虫剤を使用して害虫を駆除し得ても、薬剤が土に滲透して土壌を悪

質化し、それが害虫発生の原因になる事を知らないとは実に愚かな話

である(酸性土壌は肥料が原因である)。


二、肥料を吸収すると作物は非常に弱るのである。それは風水害にあ

えば折れやすくなり、また花落ちがするから結実が少く背が伸びすぎ

葉が大きくなるため実が葉蔭になって、米、麦、豆類は皮が厚く、実

が痩せるのである。


三、硫安や糞尿中のアンモニヤ、その他の化学肥料のそのほとんどが

毒劇薬であるから、それを作物が吸収する以上、たとえ微少であって

も、常住胃を通じて人体内に入る以上、健康に害なしとは言われな

い。特に日本人の八○%以上は寄生虫特に回虫を保有している事実で

あるが、原因はもちろん糞尿中の回虫卵が人体内に入り成長するので

あるが、糞尿肥料を二、三年中止すれば、回虫病は全滅するというこ

とを、最近の医学は報告している。この点においても無肥料栽培は偉

大なる成果である。


四、近来、肥料の価格は益々騰貴し、肥料代を払えば供出米の売上高

と一ぱい一ぱいという事は農家の詐(いつわ)らざる計算で、それが

ためやむを得ず闇売りをしない訳にはゆかない事である。

五、肥料購入肥料及び消毒薬の撒布等に要する手数と労力は非常なも

のである。

六、無肥料栽培の作物はすこぶる美味なること、発育がよく、有肥料

のものより巨大で、数量も多いのである。

 以上によってみても肥毒の恐るべきかを知ると共に、無肥料栽培の

いかに有利であるかは充分認識し得たであろう。これを総計算すると

すれば、農業経済はこれまでの二倍の利益を挙げ得る事はあえて難事

ではないのである。実に日本における農耕の一大革命であるといって

も過言ではあるまい。以下私の経験によって得たる成果や方法及び、

幾多実際家の報告を発表してみよう。

 私はこう思うのである。それは日本人中真の野菜の味を知っている

者は幾人あるであろうか、恐らく滅多にないといっても差し支えある

まい。もちろん農作物は化学肥料と糞尿肥料を施さぬものはあるまい

からである。これらの肥料を吸収する野菜は、天与の味わいは逃げて

しまうのである。それに引換え土自体の栄養を吸収させるようにすれ

ば、野菜それ自体の〔自然の〕味わいを発揮するから実に美味であ

る。私は無肥料野菜の味わいをしってから、人生の幸福感をいかに増

した事であろう。しかも無肥料栽培においては、肥料代の節約と手数

とが省かれ悪臭の不快からも免れ、寄生虫伝ぱの危険も除かれ、害虫

の発生は極めて少なく、味もよく量もふえるのであるから一石二

〔七〕鳥の効果ある訳である。私はこのような大問題を一刻も黙視してはいられない。速かに天下に発表して、この福音を頒(わか)ち与

えんと思うものである。

 まず、実際理論から述べてみるが、そもそも土の性能はいかなるも

のであるかと言うに、土壌は土素、水素、火素の三大元素の密合体に

よる三位一体の力で成立している。もちろん植物育成の基本的力は土

素であって、水素、火素は客動的力である。故に主動力である土壌そ

のものの素質いかんによって植物に良不良の結果を来すのであるか

ら、栽培の場合、その根本である土の素質をより良質にする事が主要

条件でなければならない。良質の土素ほど好結果を得らるるからであ

る。

 しからば良土たらしむる方法はいかんというにそれは土質の精力を

強化する事である。そうするにはまず土質を清浄純化しなければなら

ない。それは純情なる土質ほど植物に対する生育力は旺盛だからであ

る。しかるに今日までの農業のいかに誤っていたかは、右と反対に土

質を極力汚穢に満すのを可としていた。この事の説明に当っては、ま

ず反対理論から説く方が判りやすいと思う。

 反対理論とはいかなる訳かというに、昔から農作に肥料は切っても

切れない重要事としているが、実は施肥すればする程土を殺してしま

うのである。肥料を施せば一時は良成績を挙げ得ても、漸次土は肥料

中毒に罹り、肥料を施さなければ良結果を得られない事になる。したがって、肥料を施せば施す程逆効果を招来する訳である。何より農民

諸君が水田の稲作の収穫が不良になると客土をする。客土をすれば一

時的収穫が増すからである。この場合彼等は誤った判断を下す、それ

は年々栽培する事によって土の養分を吸収してしまうから、土の栄養が貧困になったからだと解釈する。実は年々肥料のため土質が弱った

事に気がつかないのである。ところが肥料分のない新しい土は、土の

生活力が旺盛であるから、良成績を挙げ得るという訳である。理論は

この位にしてともかく実際上より、いかに無肥料が有利であるかを順

次説明してみよう。
 まず第一に挙ぐべきは無肥料栽培の特徴としては作物の背丈の低い

事である。有肥料においては丈が高くなる事、葉伸びが旺盛で葉が大

きく繁るから、さきに述べたごとく豆類等の実は葉陰になって成育悪

く、また花落ちが多いので結実も非常に少く、特に枝豆等は無肥料に

おいては二倍の収穫を挙げ得られ、一粒といえども虫食いはなく、そ

の美味たるや何人も讃歎するのである。もちろん豌豆(えんどう)、

空豆等のごときも皮の軟き事無類である。

 そうして無肥料栽培においては決して失敗のない事である。よく素

人が馬鈴薯などを作る場合芋が小さく且つ少いとか、全然無収穫など

の歎声をよく聞くが、それは肥料の多過ぎるためである事に気付かな

い結果、反対に成績不良なるは肥料の少きためと誤解し益々肥料を用

いるから倍々成績が悪くなる。しかもこの際、指導者または経験者に

質(たず)ねる場合「その原因は種子の不良や、不適期にまくから」

とか「土壌の酸性に因るため」などといい、全く的外れで、真の原因

に気付く由もないのである。ところが無肥料栽培による馬鈴薯はすこ

ぶる白色で、香気が高く、ネットリと舌触りよく、品種が異うかと思

う程の美味である。もちろん八つ頭、里芋等もそうであるが、特に薩

摩芋は高畝にし、畝の間隔を広くし、日当りを充分よくすれば、その

容積の巨大なると美味なる事とは驚くの外ないのである。もっとも農

家においても薩摩芋は余り施肥をしないようである。
 特に私は玉蜀黍(とうもろこし)について述べてみるが、無肥料に

おける玉蜀黍の良成績は特筆する要がある。ただし玉蜀黍はもとより

すべての種子も、最初は肥毒を含んでいるから、一、二年は成績が思

うようでないが、三年目位から目立って良くなるのである。土に肥毒

なく、種子にも、肥毒のない玉蜀黍は茎は非常に太く、水の垂るよう

な葉の青さで、日当り良く水切れのない土地であれば結実はよく、実

の棒は長く、粒は隙間のない程密集し、列が正確で口に入れるや柔く

甘く、一度経験するや、忘れ得なくなるのである。

 大根なども純白色で、肌理(きめ)細かく、ねっとりして甘味があ

り実に美味で、太いのである。よく大根にスがあり、またはがりがり

するのは肥毒のためである。また無肥料の菜類は香気馥郁(ふくい

く)として食欲をそそり色良く軟かく虫喰などは絶対にない。もちろ

ん糞尿を用いないから最も衛生的である。

 無肥料栽培において特に推奨したきは茄子である。それは皮の柔い

事、色の好い事、香気満点で食欲をそそる事夥(おびただ)しく、私

の家の家族などは有肥の茄子は食わない位である。また稲作の場合、

藁を細かく刻み、水田の土によく混せるので、藁は熱を吸収するから

土が温まる訳である。そうしてこれはよく知られている事であるが、

冷い山水は非常に悪いから、出来るだけ溝を浅く長く作り、流水を温

める事である。その場合中間に池を作る事は不可で、池は底がふかい

ため水の温まりが悪いからである。瓜類や西瓜、南瓜等、何人も経験

のない程の優良なるものが出来るのである。米麦であるが、麦も米も

背丈短く、量も質も優良なる事はもちろんで、特に米においては光沢があり、コクのある事もち米のごとくで重量あり、美味満点で、品質

は特等米といえるであろう。

 以上のごとく、私は簡単ながら無肥料栽培の有利なる点を述べたつ

もりである。特に今日到るところに見る家庭菜園に対し、かくのごと

き福音はないであろう。ともかく素人が糞尿を扱う事は堪えられない

程の苦痛であるばかりか、それが反って不良の原因となったり、回虫

の虫という有難くもないお客様を腹の中へ招来するというにおいてを

やである。知らぬ事とは言いながら、今日まで有肥栽培のため骨折っ

て不成績を続けて来た訳である。私など大抵の野菜は種子のまき放し

で、ただ時々除草する位の手数だけで、それで上等の野菜が出来るの

であるから、何と有難いではないかと言いたいのである。

 そうして前述のごとく金肥及び人肥は必要としないが、天然堆肥は

大いに利用する必要がある。それについて述べてみよう。あらゆる植

物を成育さす場合最も肝腎な事は、根の末端である毛細根の伸びを良

くする事であって、それには土を固めないようにするのである。堆肥

はあまり腐らせ過ぎると固まりやすくなるから半腐れ位がいい。草葉

の堆肥は早く腐蝕するからよいが、木の葉は繊維や筋が硬いから、長

期にわたっても充分腐蝕させるべきである。その訳は前述のごとく根

の尖端が堆肥の葉筋に当り妨害されるからである。近来、根に空気を

与えるのを良いとしているが、これはちょっと的外れである。何とな

れば空気が流通する位の土であれば根伸びが良いからで、実は空気は

関係がないのである。今一つ注意すべきは土壌を温める事で普通の野

菜においては堆肥は地下一尺位の深さに一尺位の積層を作るとよい。

ただ大根、人じん、ごぼうのごとき根が目的のものは堆肥のふかさも

それに準ずべきで、その場合草葉の堆肥を土とよく混ぜ合す事、木の

葉の堆肥は右のごとく地下の床作りにする事、これが理想的である。


 近来、土壌の酸性を不可とするが、酸性の原因は肥料のためである

から、無肥料なればその憂はないのである。

 今一つ世人の意外とする事がある。それは農業においては連作を不

可としているが、私は連作主義で好成績を挙げている、しかも年を経

るに従い成績は漸次長くなる事である。これは奇蹟のようであるが、

実は立派な理由がある。これは私の言う土を生かし、土の力を強盛に

するためには連作する程、その野菜に対し土はその野菜を育むべき適

応性が自然に醸成さるるからである。

 次に害虫も無肥料であれば、ほとんど皆無でないまでも、現在より

も何分の一に減るであろう。農民諸君も肥料が多過ぎると害虫がわく

という事をよくいわれている。彼の葉巻煙草には最優秀なる原料とし

てマニラ、ハバナ産を用いるが、その葉は虫喰葉がなく、すこぶる香

気が高いが、全く無肥料のためである事を、以前専門家から聞いたこ

とがある。また何よりも雑草に虫食がないことで、春の野の摘草の中

にある嫁菜、芹等が特に香気の高いのも無肥料のためであろう。

 ここに注意すべきことがある。今まで有肥料の田畑に対し、無肥料

栽培を行う場合最初の一、二年は成績が悪いが、それはそこの土が肥

料中毒にかかっているためで、ちょうど人間の場合、酒飲みが禁酒を

すれば一時はボンヤリしたり、煙草飲みが禁煙をすると活気が無くな

り、モヒやコカイン中毒者がやめれば我慢が出来ないのと同様の理で

ある。まず二、三年は辛抱してその後を待つべきであって、土及び種

子の肥毒が消滅するに従って、土は偉力を発揮するのである。

 以下幾多の実験報告〔略〕が証明するであろう。
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