扁桃腺炎、盲腸炎、手術

扁桃腺炎、盲腸炎、手術(岡田茂吉師御論文です)



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『明日の医術(初版)第二編』昭和17(1942)年9月28日発行

病患と医学の誤謬

 西洋医学に於ける根本的誤謬は、事実を基礎として理論的には充分説いたつもりであるが、猶重なる病気に対し、実證的に検討してみよう。

一、扁桃腺炎、盲腸炎、手術

 現代医学の診断に於て、誤謬の頗る多い事は、多数の患者を取扱は

れた経験豊富の医家はよく知つてゐる筈である。何よりも医科大学

於て、診断と解剖の結果とを照合してみれば、思半ばに過ぎるであら

う。先づそれ等に就て、事実によつて順次解説してみよう。

 近来、最も多い病気として扁桃腺炎なるものがある。此病気は大抵

の人は経験してゐる筈であるから、先づ之から採り上げてみよう。


 元来、此扁桃腺なる機能は如何なる役目をしてゐるものであるか、

扁桃腺炎なるものは、如何なる理由によつて発病するものである

か、恐らく医学に於ては未だ不明であらう。何となれば、手術によつ

て除去するのを最上の方法としてゐる位だからである。そうして手術

の理由としては、扁桃腺は不必要であるばかりではなく、反つて有害

な存在であるとしてゐる。故にもし医学で言ふ如きものとすれば、それは人間を造つた程の偉大なる造物主が、無益にして有害なる機能を



造つたといふ訳である。医学が不必要視するものを、造物主は必要と

されたのである。―といふ事は洵に不可解極まる話ではあるまいか。

仮にそうだとすれば、造物主の頭脳よりも医学者の頭脳の方が優れて

ゐるといふ事になる。造物主即ち神よりも、人間である現代の医学者

の方が上位であるとは驚くべき僣越である。然るに実は、医学者と雖

も、造物主に造られたのではないか。医学者が如何に学理を以てする

も、一本の睫(まつげ)一ミリの皮膚さへ造り出す事は到底不可能で

あらう。故に、扁桃腺が不必要といふのは、その存在理由が未だ判明

しないに関はらず、判明したやうに錯覚した結果が手術を生んだとい

ふべきであらう。

 然らば、扁桃腺なるものは何が故に存在するのであるか、私の発見

によれば、非常に重要なる使命を果してゐるのである。それは人体に

於て、最も毒素が集溜し易いのは頸部淋巴腺附近である。そうして此

集溜毒素は、浄化作用によつて排泄されなければならないので、曩に

説いた如く、第一浄化作用によつて一旦扁桃腺に毒素が集溜し、凝結

し、それが第二浄化作用の発熱によつて溶解し、液体となつて排泄せ

らるるのである。即ち、扁桃腺は、毒素の排泄口である。此理によつ

て、扁桃腺の起つた場合、放置しておけば、浄化作用が順調に行は

れ、普通二三日で治癒するのである。然るに医療は此場合、ルゴール

の塗布や氷冷、湿布、解熱剤等によつて浄化作用の停止を行ふから、

浄化作用と其停止との摩擦を起し、治癒迄に相当の時日を要するとい

ふ事になる。そうして一時治癒したとしても、実は真の治癒ではな

く、浄化発生以前に還元させた迄であるから、扁桃腺固結は依然とし

てゐる。然しそればかりではない。其後に集溜する毒素が加はつて、

固結は漸次増大する。再び浄化が起る。復浄化を停止し還元させる。

斯様な事を繰返すに於て慢性症となり、固結は愈よ膨大する。之を扁

桃腺肥大症といふのである。そうして、手術除去を慂めるのである

が、何ぞ知らん、除去しなければならない程に膨大させたのは、医療

の結果であるのである。そうして、此様に膨大した扁桃腺は、発病す

るや激烈なる浄化作用が起るから、高熱は勿論の事、患部の腫脹甚だ

しく、喉頭は閉鎖され、甚だしきは、水一滴さへも飲下する能はざる

程になるのである。斯様な悪性扁桃腺炎を恐るるが故、除去を勧むる

といふ事になるのである。然るに自然治癒によれば、扁桃腺炎は、一

回より二回、二回より三回といふやうに、漸次軽症となり、畢に全く

扁桃腺炎は発病しない事になるのである。

 茲で、脳貧血に就て一応説明しておかう。之は扁桃腺炎に関係があ

るからである。それは仮に、頸部淋巴腺に集溜する毒素が、その排泄

口である扁桃腺が失(な)いとしたならどうなるであらう。それは其

儘淋巴腺附近に停溜固結する。その固結が頭脳に送血する血管を圧迫

するから、頭脳の血液が不足する。それが脳貧血であり、神経衰弱で

もある。頭脳が朦朧として圧迫感や不快感等の患者が、近年非常に多

いのは全く右の如きが原因であることも尠くないのである。


 そればかりではない。扁桃腺を固結させるか、又は除去した場合、

淋巴腺集溜毒素は出口を他に求めるの止むなきに至る。それは、反対

の方向に流進して排泄されようとする。即ち耳下腺を通つて中耳に到

り、鼓膜を破つて排泄されようとするのである。其際、高熱によつて

液体化した毒素は耳骨を穿孔しようとする。その痛みと発熱を中耳炎

といふのである。近来、中耳炎患者の増加したのも全く右の理由によ

るのである。扁桃腺炎なら、軽症で済むべきものを、医療はより重症

である中耳炎にまで発展させる訳である。そうして中耳炎の場合必ず

氷冷法を行ふから、液体毒素は方向を転換するのである。即ち中耳に

向つて流進してゐたのが、頭脳に向つて転進するのである。之を医師

は“中耳炎に因る脳膜炎”といふのである。斯様に扁桃腺炎を中耳炎

に発展させ、終に脳膜炎まで起させるといふのは全く驚くべきであ

る。

 次に、盲腸炎に就て説明してみよう。之も近来非常に多い病気であ

つて、扁桃腺炎と同じく手術除去を奨めるのである。そうして医学で

は多く食物に原因を置いてゐる。彼の、葡萄の種が原因といふ学説で

あるが、私は何時も嗤ふのである。葡萄の種位で盲腸炎が起るとすれ

ば、柿の種や魚の骨など嚥下したら即死するであらう―と。


 そうして医療に於ては、最初氷冷によつて浄化を停止し、還元させ

ようとするか乃至は直ちに手術を行ふのである。そうして速かに手術

せざれば化膿し、虫様突起が破れて急性腹膜炎を起すといふが、之も

誤りである。そうして、盲腸手術の結果予後良好で、健康時の状態と

なつたとしても、慢性腹膜炎及腎臓病が起り易くなるのである。それ

等は、如何なる訳であるか。左に詳説してみよう。

 抑々、盲腸炎の原因は何であるかといふとそれには先づ、盲腸なる

機能の役目から説かねばならない。身体不断の浄化作用によつて下半

身の毒素溜結個所として、盲腸部は上半身の扁桃腺と同じ様な意味で

ある。即ち、第一浄化作用によつて盲腸部へ毒素が溜結するのであ

る。其際同部を指頭にて圧診すれば、大小の痛みを感ずるのである。

そうして重痛は毒素溜結が強度に達し、盲腸炎即ち第二浄化作用の近

づいた徴候であつて、軽痛は、毒素の溜結が軽度又は少量なる為であ

る。又其際盲腸部以外の腹部を圧診する時、痛苦があれば腹膜にも毒

素溜結があつて、急性腹膜炎合併症の前兆である。然し乍ら茲で面白

いのは、全身的に衰弱してゐる時は第二浄化作用は起り得ないもの

で、第二浄化作用が起り得るのは活力旺盛であるからである。故に過

激な運動を行つた後など起り易い事と、青壮年時に起り易いといふ事

はそういふ意味である。又第二浄化作用が起るまでに毒素が溜結する

には、大抵数年乃至十数年の長時日を要するものであるから、幼児又

は小児には殆んどないにみても明かである。


 右の如き理によるのであるから、盲腸炎発生の際は放任しておけば

容易に治癒するのである。即ち高熱によつて溜結毒素が液体化し両三

日経て下痢となつて排泄せられ治癒するのである。右の毒素溶解を医

学では化膿といつて恐れるのであるが、実は化膿するから治癒するの

である。即ち化膿した時は下痢の一歩手前であるから半ば治癒したと

見做して可いのである。故に、盲腸炎発生時の養生法としては、一日

断食、二日目三日目は流動物、四日目五日目は粥、六日目から普通食

で差閊へない迄に治癒するのである。そうして自然療法による時に

は、激痛は半日乃至一日位軽痛二日間位で、四日目からは室内歩行が

出来る位になるから、何等恐るべき病気ではないのである。


 そうして、盲腸炎の根本原因としては、右側腎臓部に硬度の毒素溜



結があり、その為の萎縮腎による余剰尿が盲腸部に溜結したのである

から、右の毒結を解消するに於て決して再発はないのである。


 又、腹膜炎併発は盲腸に直接関係はないのであつて、之は、腹膜部

の毒素溜結が同時に浄化作用を起す為である。其際医療は手術を慂め

る事もあるが、之は予後不良である。故に医師によつては手術を避

け、他の療法によつて浄化作用を停止し、還元させようとするのであ

るが、それには非常に長時日を要するので、其結果は漸次腹部の毒素

は固結し、板の如くなり、其圧迫によつて胃腸障碍を起し食欲不振と

なり、衰弱甚だしく多くは斃れるのである。


 之は、自然療法によるも、三日間位は激痛を堪え忍ばなければなら

ないし、其間絶食のやむなきに至るのである。然し、医療によつて生

命の危険に曝(さら)すよりも、必ず治癒するのであるから、三日や

五日位の忍苦は何でもないであらう。そうして其結果、猛烈なる下痢

を起し、完全に治癒するので、普通二三週間位で治癒し、勿論再発の

憂は絶無である。

 茲で、手術に就て一言を挿む事とする。今日医学の進歩をいふ時、

必ず手術の進歩を誇るのである。之は一寸聞くと尤ものやうである

が、実は大いに間違つてゐる。何となれば患部の機能を除去するとい

ふ事は、人体に於ける重要機能を消失させるので、他に悪影響を及ぼ

すのは当然である。成程手術後一時的或期間は安全であるが、浄化作

用の機関が失くなるとすれば、毒素は他の凡ゆる機能を犯す事になる

からである。それは不自然な方法が齎(もたら)す結果としてそうな

るべきである。最も高級で微妙極まる人体の組織であるから、仮令聊

かの毀損も全体に悪影響を及ぼさぬ筈はないのである。之を例へてい

へば、如何なる名画と雖も、画面の一部が毀損さるれば、それは全体

の毀損であり、価値は大いに低下するであらう。又家屋にしても、一



本の柱、一石の土台を除去したとしたら、直に倒れないまでも、その

家屋の安全性はそれだけ減殺される訳である。そうして手術は、病気

の除去ではない。病気と共に機能を除去するのであるから、如何に理

由づけようとしても、医術の進歩とはならないであらう。私は真の医

術とは、病気そのものだけを除去して、機能は以前のまま、生れたま

まの本来の姿でなくてはならないと思ふのである。そうして手術は外

部即ち指一本を除去するとすれば不具者として恐れられるが、内臓な

るがため直接不自由と外観に影響しないので左程恐れられないのであ

る。故に私は惟ふ、手術が進歩するといふ事は、医学が進歩しないと

いふ事である。即ちメスによつて患部を欠損させ治療の目的を達する

といふ洵に原始的方法を以て唯一としてゐるからである。此意味に於

て、今日称ふる手術の進歩とは、医術の進歩ではなく“技術の進歩”

であると、私は言ひたいのである。
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