罪穢と病気

罪穢と病気
岡田茂吉師御論文です)



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『明日の医術 第三編』昭和18(1943)年10月23日発行

 この問題を説くに当って断わっておきたい事は、ある程度宗教的に

思われ易いのであるが、私の説く所は宗教的ではなくむしろ道徳的と

思うのである。しかし、罪穢(ざいえ)という言葉そのものは宗教家

がよく用いるが、それは仮説でもなく作為的でもない、全くの事実で

ある事は、以下私の所説を読めば肯(うなず)かるるであろう。

 前項に述べたごとく、人は悪を想い、悪の行為を重ぬるに従って、

それだけ霊体に曇が増量し、漸次その濃度を増すのである。しかる

に、右の濃度がある程度に達すると、自然的解消作用が起るのであ

る。勿論、厳とした霊界の法則であるから止むを得ないので、いかな

る人といえども免るる事は出来得ないのである。そうして右の浄化作

用の多くは病気となって現われるものであるが、時としては、その他

の形となって現われる事もある。しかるに病気の場合いかに医療をつ

くすといえどもいささかの効果もないのは、それは霊的原因に対する

に器械や薬などの物質で解決しようとするからで、全然見当違いであ

るからである。又この場合神仏に祈願を籠(こ)める人もあるが、そ

れは多少の効果はあるものである。勿論神仏の本体は霊であるからそ

の霊の恵みによって幾分の曇は軽減するが長年積み累(かさ)ねた罪

穢であるから神仏といえども否正しい神仏であればある程公正である

から、軽苦では済まされないのである。これをたとえていえば国家の

法規に触れた者は、いかに悔悟歎願するといえども全然赦さるるとい

う事はあり得ない。ただ改悛の情顕著なる者が罪一等を減じ得らるる

位である事と同様である。

 しかしながら、自然浄化作用が発生するより以前に浄化作用が起る

場合がある。その際は比較的曇が濃度に到らない為浄化作用が軽く済

むのである。これはいかなる訳かというとある動機によって悔改める

という場合である。右の動機とは、宗教的説話や聖書のごときもの、

又は先輩や名士の経験談や言説、偉人の伝記等によって精神的に覚醒

する事である。この意味において人間の魂即ち良心を喚び覚すべきも

のとして、良き書籍及び講演、良き映画や演劇等の必要なる事は言を

須(ま)たないのである。

 右のごとく、人間が覚醒する場合、霊体にいかなる作用が起るかを

説いてみよう。本来、人間の霊体はその中心に心があり、心の中心に

魂があって、三段になっているのである。そうして魂本来は良心その

ものであるが、断えず外界からの影響によって曇らされるのである。

即ち、魂本来は日月玉のごとき光明であるが、その外殻である心が曇

れば、魂の光輝は遮断され、魂は眠るのである。故に、明鏡止水のご

とき心境にあれば、魂は晴天の日月のごとく輝くのである。

 右のごとく人間が覚醒するという事は、睡眠状態であった魂が、豁

然(かつぜん)として輝き出す事である。その手段として今日まで

は、右に説いたごとく、説話や読書等の道徳的手段があるのみで、そ

れによってまず魂が覚醒し輝き出すから心の曇が解消し、次で霊体が

浄化さるるという順序である。右によってみるも、魂・心・霊の三者

は、常に明暗の状態が平均しているのである。

 しかるに、私は腎臓医術の項目において、百万語のお説教よりも、

腎臓を健全にする方が効果があると言ったが、それはいかなる訳かと

いうと、前述のごとき道徳的手段を要しない事であるばかりか、道徳

的手段においては、百パーセントの効果は期し難いが、本療法によれ

ば百パーセントの効果があるのである。それは前述のごとき道徳的手

段においては、まず魂を覚醒させ、次に心及び霊体が浄化さるるので

あるが、本療法においてはこの反対であって、外部からの施術によっ

てまず霊体が浄化され、それによって心の曇が解消し、否が応でも魂

は覚醒する事になるのである。又、道徳的手段によって魂や心が覚醒

する場合、本人自身は克己的苦痛が伴うと共に、それが霊体に及ぼ

し、病気その他の苦しみを受けなければならないが、本療法は、疾患

が治癒しながら知らず識らずの裡(うち)に魂が覚醒するのであるか

ら、理想的心身改造法というべきである。


 右のごとく、霊的浄化を発生さすその根源としての機能が腎臓であ

るから、腎臓の活動を促進さす事こそ、心身改造の根本である訳で彼

神道における祓戸四柱(はらいどよはしら)の神の活動が、人体に

おいては腎臓に相応すると想うのである。さきに説いたごとく心臓は

日であり、肺臓は月であり、胃は土であり、天地間の汚濁を清める神

が祓戸の神であるとすれば、腎臓は左右及び副腎と合せて四つあり、

祓戸の神も四柱あるにみて、意味がないとはいえないであろう。(岡田茂吉師御論文です)



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